2.03.2018

石巻レポート2017

PEACE CARD関西がスタートして以来、ずっとおつきあいが続いている「石巻ZENKAI商店街」さん。これまでPEACE CARD関西は、現地を訪れたことがありませんでしたが、昨年の秋にようやくの思いを抱えて訪れることができました。2017年の秋、11月24日〜27日の4日間、短い期間でしたが、とても有意義な想いをいただきました。遅ればせながらその時に感じたことをレポートすることにします。

宮城県にある石巻は仙台から電車で約1時間。石巻といえば、写真の「がんばろう! 石巻」という看板をご記憶の方は多いでしょう。



石巻は2011年の東北大震災から起こってしまった津波により、街が全壊しました。当時、街が丸ごと消え、瓦礫の山となったところに、すくっと現れた「がんばろう! 石巻」という力強い看板。負けちゃいけない、と力をもらえたのは被災地の方だけではなく、報道で知った私たちも同様でした。警察庁などの発表によると、東北大震災による死者は1万5894人、行方不明者は2546人(2017年9月)。そして、石巻はもっとも被害が大きかった地域の一つです。

今回、PEACE CARD関西を代表する形で石巻を訪れたのは、歌うパステル画家として活動している私、5*SEASON(ファイブシーズン)。そして私の音楽仲間のターブーの二人です。
正午過ぎ、羽田を発ちました。

仙台空港に着き、電車で仙台へ、そして電車を乗り継ぎ

石巻駅へ到着したのは夕方でした。

石巻の駅舎。
ステンドグラスの模様は石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」。
アーチ状の屋根にも何かいますね。
そう、石巻は漫画家・石ノ森章太郎が愛した土地なんです。

通りを歩いているとヒーロー像に至るところで出会えます。

マンホールだってロボコン!

あ! 歩いているとこんなものを発見!
2011.3.11
この日の津波は自動販売機の上をだったのです。

そうしてアイトピア通りへ。
やっとお会いできました!
石巻ZENKAI商店街」の奥村さんです!
みなさんからのエールを集めた色紙をお渡ししました!


2012年にPEACE CARD関西がスタートして以来、奥村さんは石巻と私たちの橋渡しを務めてくださいました。メールでのやりとりだけでしたので、お会いできた時はホントに感激! 奥村さんは呉服屋「京屋」さんを経営されていて、今回の対面の場所はそのお店でした。奥村さんのお仲間が次々に現れてくださったので、奥村さんのお人柄はあったかいんだな〜なんて思ったものです。また、奥村さんのお話によると、これまでPEACE CARD関西からの寄付金は商店街の各お店が再建するための補助として使っていただいたとのことです。

その日の夜、奥村さんのご友人が経営されている寿司屋さんで夕ご飯をいただきました。石巻は古くから漁港として栄えた町、新鮮な魚が食べらるということで楽しみにしていました。


見事なお寿司! 秋の旬、金華鯖の握りもいただきました。
とーっても美味しかったです。
石巻のお酒だって たまりません♪

すし 蓬莱」の大将。笑顔がステキ💕

この夜に訪れたお寿司屋さんも「3.11津波」で全壊となり、店舗を以前の商店街から移動され、現在の場所で無事に再開されたというお話をききました。

石巻第一日目はこうしてふけていったのです。


ー★ー


明けて2日目。
まずはランドマークの石ノ森萬画館を目指して歩いていると・・・

洋館がありました。旧観慶丸商店です。
ここも3.11津波の時、1階が浸水しましたが、
現在は石巻市の有形文化財に指定され、文化財の展示などになると聞きました。


石巻を愛した漫画家・石ノ森章太郎の世界を体験できるミュージアム。
企画展や図書室もあります。

漫画を活かしたまちづくりを進めている石巻。ここ石ノ森萬画館を拠点に、今後どう広めていくか…課題はいくつもありそうです。ちなみに、PEACE CARD関西が石巻にエールを送り続けているのは、石巻が漫画という芸術・文化を旗印にしているのが理由のひとつです。PEACE CARD関西の年に一度の展示イベントに寄せられる作品たちも芸術・文化ですから、仲間意識があり末長くお付き合いできる気がしたのです。

3.11津波の被害は石ノ森萬画館にもおよびました。
長期休館の後に再開、被害の状況が写真で展示されています。
やはりここは訪れてほしい石巻の場所のひとつです。

企画展も開催されます。
この時は漫画家「安野モヨコ原画展」が。
充実の内容で大満足!!!


石ノ森萬画館のエレベーター。
石ノ森章太郎の夢ある絵が描かれています。
こういうエレベーターがたくさんあればいいのに。
石巻だけでなく、私たちの街でも。
これって街の個性のひとつになるような気がするんですが〜。

石ノ森萬画館を後に、石巻の町を歩く。
建設中の観光施設がありました。平成30年完成予定とか。


今、観光が必要なのかという議論も当然あるようです。未だ仮設住宅に住む人がいる、そんな現実がありますから。ただ、後でも触れますが、私が石巻で出会った皆さんはこんなことをよく言っておられました。とにかく石巻に来て欲しい」。・・・となると、観光施設も欲しい。

この日の午後は、観光ガイドをなさっている菊田さんの車で石巻をめぐることになりました。菊田さんは奥村さんにご紹介いただいた男性で、石巻博士のような方なんです。

石巻で一番の高台・日和山公園。
日和山神社(鹿島御児神社)の鳥居が町を見守るように立ち、
命の高台」とも呼ばれています。

山頂から南に石巻湾が広がり、 眼下にはかつて住宅や漁業関係の工場などが広がってIましたが、3.11津波で ことごとく流され、消えてしまった。 津波がおそってきた際、多くの方がこの神社避難、街が破壊されるのを呆然と眺めた・・・。

日和山神社へと続く階段。
あの日、どんな気持ちでここを駆け上がり、
どんな気持ちで街が流れるのを目にしたのか…胸が痛みます。

菊田さんの車で石巻の門脇・南浜地区を走る。
永遠に続きそうな草原。
ここは3.11津波で街ごと流された地区、
1,800世帯もの住宅が消えたのです。

あの「がんばろう! 石巻」の看板の前にやってきました。
現在は2代目に代わっています。
あたりは整備中、だだっ広い敷地が続いており
かつて人の営みがあったという想像は難しい状況です。
ここは平成32年完成を目指し震災記念公園とする工事が進行中。

「がんばろう! 石巻」の看板の傍らに小さな建物がありました。

3.11を伝えることを目的に開設されました。
館内では震災前の街の復元模型や震災直後の映像などを知ることができます。
私たちは写真の男性スタッフの説明をききました。

3.11津波前の住宅写真に付箋が貼られています。
「ここに私の家がありました」というアピールです。
叫びのような、祈りのようなものを感じました。
この地区が広大な公園になるのだけれど、
本当にこの公園は必要なのかな…そんな想いが頭をよぎりました。

建設予定の公園は「石巻南浜津波復興祈念公園」として、
"あの日を忘れない"為に建設されるようですが、
この地区に帰れないのなら他所で暮らしたい、という人も少なくないでしょう。
完成予定が東京オリンピックと同じ平成32年というのも何かひっかかります。
日本にオリンピックは本当に必要でしょうか。

菊田さんの車で、次に向かったのは石巻魚市場

遅めのお昼です♪
海鮮丼と茶色い麺の石巻焼きそばをいただきました。
漁港ですから海の幸は当然の美味しさ、
焼きそばだって石巻オリジナルとは恐れ入りましたっ。
石巻って魅力が多い〜。


そして


この日の夜、私5*SEASONとターブーの「PEACEライブ」が
いしのまき元気市場で行われました♪

ライブ中の様子です。
私とターブーにとって初めての東北ライブ。
石巻で良かったと心底から思えるかけがえのない時間でした。
ライブの開催にあたって「石巻ZENKAI商店街」のみなさまに
またまたお世話になっちゃいましたー!!!

石巻の応援キャラクター「いしのまけん」こと
「まけん」くんも来てくれたっちゃ!(石巻弁のつもり)

「石巻ZENKAI商店街」の各お店のみなさんとも会えました。
これまでHPで似顔絵を見ていたので、初めて会ったような気がしません!

最後までご一緒できた皆様と記念写真パチリ☆

「石巻PEACEライブ」で『明日へ羽ばたこう』というオリジナル曲が歌えて幸せでした。
この曲は東北へエールを送るために生まれた曲なんです。

♪明日 明日 明日へ羽ばたこう
今日は涙にくれたけど
あなたが微笑み 優しく頷き
明日の扉を開けてくれた
一生懸命 生きて行きましょう♪

- 明日へ羽ばたこう より -

ライブのダイジェストをYouTubeでご覧いただけます。




ー★ー


さて、ライブが終わって石巻3日目。
一緒に石巻入りしたターブーが仕事の都合で一足先に帰る日です。
仙台まで見送りに行き、ついでに仙台観光しました。
ターブーを見送った後、仙台の街をひとり、
駅ビルから見下ろしました。

石巻とは違う都会の風景。一見して平和な街に見えます。
ここは津波の被害は少なかったと記憶していますが、
それでもこの都会の街並みの中に私の知らない3.11の葛藤があるんだ、
そんな想いを抱きました。それはきっと、
被災地・石巻を歩き、
土地の人と触れ合った後だったからでしょう。
目には見えない何かがあると…。



仙台から石巻に戻った私を
顔なじみとなった皆さんが「京屋」さんで待っていてくれました。
晩御飯は奥村さんのお友だちの洋食屋さんへ。

ここで鯨をいただいちゃいました!
石巻では珍しくないメニューだとか。
奈良に住まう私は珍しくて仕方ありませんが、
石巻は鯨の街なんですって。
鯨を食べに、さぁ石巻へ行こう!

石巻名物の海の幸缶詰
以前、「石巻ZENKAI商店街」さんが
「PEACE CARD 関西」へ差し入れしてくださいました。
美味しかったですよ〜。お土産にグー♪


ー★ー

さて、石巻4日目。
あっという間に帰る日となりました。
石巻コンシェルジュの菊田さんの車で蛤浜へ。
青空が広がるドライブ日和でした。

蛤浜です。
牡鹿半島にあるこの小さな集落も
3.11津波により壊滅的な被害を受けました。
今ようやくの整備が進行中です。ほんとにようやく・・・。

蛤浜を見下ろすように静かに立っています。
ここでは蛤浜が蛤浜らしく続くようプロジェクトが続いています。

菊田さんとコーヒーを飲むことにしました。


心のこもった美味しい一杯。
コーヒーを飲みながら、菊田さんから
3.11津波で奥様を亡くされた方のお話を聞きました。
そして菊田さんの3.11も。
そしてあの日、雪が降っていたことを思い出しました。



Cafeはまぐり堂には太陽が燦々と降り注いでいて、
11月なのに中にいると汗ばむほどあったかで・・・


私はなんだか泣きそうになったんです。
絶望の中でも太陽は昇る、心に悔しさもあったろうと。

菊田さんが持っていた磁石。
この磁石を傍らに菊田さんのお話を聞きました。


「cafe はまぐり堂」を後に、
菊田さんの車で短いドライブが続きました。
見所が多い石巻。車がないと見切れないんですよね。
広ーい広ーい石巻。
菊田さんの車で移動できたのはラッキーでした。

車だったから行けた見所、その中のひとつがここ。


サン・ファン館に連れてきていただきました。
ここには伊達政宗公が派遣した慶長遣欧使節の船、
サン・ファン・バウティスタ号の復元を見ることができます。
詳しくはこちらを参照してください。

ここサン・ファン館も3.11の津波で大きな被害を受けました。しかしながら沢山の支援を受け再開。現在は復興しているように見えますが、津波による破損が当初より深刻なことがわかりました。元どおりにすると10億はかかるそうです。製造技術が現在では追いつかないという深刻な問題があるとききました。



海辺のドライブを終えて、
奥村さんの呉服屋「京屋」さんへ戻った後、
近所の「そば処 もりや」さんで遅いお昼。
食べたのは「大平 (おおひら)」。


石巻の名物のあんかけうどんです。
関西と比べると、あんの色が濃い。うどんをすすると…
栗、椎茸、かまぼこ、たけのこ、鶏肉などの具が次々に出てきます。
宝探しをしながら食べてる気分。


ここ「もりや」さんも震災の津波により大変な被害がありましたが、
いち早くお店を再開され、地元の人やボランティアに
あたたかい食べ物を提供され、多くの人を励まされたそうです。

「もりや」さんのカレーうどん。
お店の一番の人気メニューです。
菊田さんは震災後にやっと再開された「もりや」さんで
カレーうどんを食べた時、
ほんとうに気持ちが洗われたとお話されていました。


さて、帰りの電車の時間まで、
奥村さんのお店「京屋」さんで最後の語らいの時。
「京屋」さんは4日間の石巻の中心だった場所です。


石巻で出会った人が集まってくださったので、
帰りの電車の時間まで、改めて石巻のことを話すことに。


「復興の歩み」
震災以後の石巻の復興の様子が紹介されたミニ冊子。


「復興の歩み」を見ながら、石巻のどなたかが「なんだか懐かしいよな…」とポツリ。しばらくして、「こんなこと言ってちゃいけないんだけど」と続けられました。この言葉が私にはとても深く心に残りました。
「懐かしい」という言葉には命の危険からは脱したことを感じました。そして、「こんなこと言ってちゃいけない」という言葉から「まだまだ…」という現状を感じました。確かにそうなんです。

3.11震災以前から石巻は、多くの地方都市と同じ問題を抱えていました。郊外型の大手商業施設に客が集中し、商店街が寂れて行った。そこへ3.11津波が追い討ちをかけてしまったのです。「あの日」から6年が過ぎた石巻を実際に歩いてみると、瓦礫の山だった町はきれいに片され、整然としていますが、活気に溢れているとはとても言えません。震災以降、よその土地へ流失した人口は、今も還ることは少ないといいます。人口の減少は賑わいを消し去る大きな問題です。また、現在も仮設住宅で暮らす人もいらっしゃるとのこと。

石巻市のお隣の女川町については、町ごと無くなってしまった。その分、復旧の速度は早かった。実際に私は女川町に車で連れて行っていただいたところ、真新しい建物が並んでいるのを目にしました。石巻は残されたものを保持しながらですから、慎重なペースである、とのこと。

石巻のマンホールその2
模様は「石巻の風景」。


「PEACE CARD関西」はこれまで年に一度の展示イベントで得た収益の一部を送金するという形で「石巻ZENKAI商店街」さんを応援して来ました。ですが、実際に石巻を訪れてみて、もっと別の形の手立てがあるんじゃないか、と思ったのです。行政団体やボランティア団体にはできない「PEACE CARD関西」らしい何か…。


石巻で見つけたイラスト付きのシャッター。
冷たいイメージのシャッターですが、これはあったかい。


石巻とお別れする間際になって、ようやくききたかったことを私は口にしてみました。「『PEACE CARD関西』は石巻に何ができるでしょうか?」。奥村さんから返ってきた言葉は「石巻にきてほしい」。そして「石巻のことを話題にしてほしい」と。うーん。私自身も毎年、石巻へ行けるといいのですが・・・ふと、私の頭に浮かんだことがあります。

今回の石巻の訪問の写真と紀行文でミニプレスを作ってみてはどうか?ミニプレスとは、個人や団体が制作した小数部発行の出版物のことです。大手出版社や一般的な書店流通を通さずに販売される本のこと。普通の本のようにどこの書店でも置いているという物ではないので、あまり馴染みがないかたが多いかもしれません。ですが、旅行書や観光ガイドにはない「ミニプレス石巻案内」を発行することで、石巻へ行きたい人が増えるかもしれません。そこには「PEACE CARD関西」に集まった平和のカード「PEACE CARD」を掲載してもいいかもしれません。

ただ、「ミニプレス石巻案内」の編集作業には時間を要しそうです。石巻の地図も載せたい。ですが、これはなかなかたいへんな仕事です。私自身が時間を取れない場合は、誌面デザインも含めて代わりの人に頼むなど、スタッフ探しも必要になってきます。また、「PEACE CARD関西」に集まったお金を寄付金以外に使うとなると、賛同者をどれだけ得られるだろうか、どんな手段で了承を得ようか、そんな不安もありますから一足飛びに「ミニプレス石巻案内」発行とはいかない気がする。

別のアイデアが浮かびました。では、「PEACE CARD 石巻展」を開催してはどうだろう。これなら石巻のことを想う人が増えそうです。原画や写真などの小作品の展示はなくして、とりあえず全国から「石巻へ向けた平和のメッセージ」をPEACE CARDとして郵送、もしくは持参するよう公募する。その開催費用を「PEACE CARD関西」のイベントを通じて発生した募金を充てる。これなら早い実現が可能かも…? 


今後のことについては、石巻の皆さんとこれから話し合う必要があります。それに石巻を訪れてくださいと言っても、宿泊施設がまだ整っていない印象です。私としては石巻に是非とも泊まってほしい。泊まってこそわかる石巻の魅力。例えば、ゲストハウスなどの安宿ができればありがたいです。どなたか石巻でゲストハウスを開業してくださるかた、いらっしゃいませんか〜??? ちなみに今回、私が泊まったところは「コンビニエアーズロックホテル石巻」。駅からのアクセスも良いです。私が寿司に舌鼓をうった「すし 蓬莱」さんがお向かいにあります。

もう一つ感じたのは、広〜い石巻を堪能するには車が必要です。今回の私たちは菊田さんという名ガイドとご縁があり、車で石巻をめぐることができました。でも、自力で石巻を回るとしたら、レンタカーに頼るほかなかったでしょう。レンタカーはこちらで申込めますが、運転できない人のことを思うと市内循環バスやツアーなども今後は必要ではないでしょうか。石巻の復興はこれからだと思わずにはいられません。


奥村さんのお店「京屋」さんには
私のイラストのカードが飾ってありました。

以前、私が奥村さんへ送ったものです。
あれは2012年のこと。
「PEACE CARD関西」がスタートした年ですから、
もう5年もここに置いて頂いているんですね、
胸がジーンとなりました。


またきっと石巻に来たい。
お会いした皆さんと再会したい。

石巻のみなさん、4日間本当にお世話になりました。
そして、いつか石巻の皆さんも関西へ、
「PEACE CARD関西展」へお越しくださいね。


仙台空港を発ったのは夜。

伊丹空港に飛行機が近づいた時、
窓から大阪の夜景が見えました。


必ずやってくる夜。
けれど人は明かりを灯せる、
夜が旅の終わりに教えてくれました。



<終>
石巻レポート2017  by 5*SEASON


Y(^▽^)p
 

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